Sensory Agents [group]

ゴヴェット=ブリュースター・アート・ギャラリー/レン・ライ・センター、ニュープリマス、ニュージーランド

2018年8月4日–11月18日

キュレーション=サラ・ウォール
アーティスト=レン・ライ、サージ・チェレプニン、ダナエ・ヴァレンツァ、毛利悠子
URL=http://www.govettbrewster.com/exhibitions/sensory-agents

ノート(2018年6月)

 私のキャリアは、エリック・サティによる「vexations」をコンセプトに据えたサウンド・インスタレーションから始まった。この楽曲は、52拍からなる1分程度の「モチーフを連続して840回演奏するためには、あらかじめ準備すべきであろう。最大の沈黙のなかで、真剣な不動性によって」という指示が添えられている。「vexations」が作られてからちょうど110年後、「もしコンピュータが普及した時代にサティが生きていたら、どのような曲を作るだろうか」という仮定のもと制作したのが《vexations: c.i.p. (composition in progress)》(2005–09)だ。「最大の沈黙のなかで」奏でられた1回目の演奏は、それが鳴り響いた展示空間のサウンドスケープごとコンピュータに取り込まれあらためて楽譜化され、自動演奏ピアノによる2回目の演奏へと変換される。さらに2回目の演奏も環境音とともにコンピュータに取り込まれ、3回目の演奏へと変換され……以下、同様のフィードバックを840回繰り返すうちに、この楽曲の「真剣な不動性」は、演奏されたアンビエンスの特性を大きくこうむり、旋律が変容してゆくことになる。

 サティの「vexations」初演はジョン・ケージを中心に1963年になされたが、私の《vexations: c.i.p. (composition in progress)》はもしかすると、ケージの方向性に少々引っぱられたのかもしれない。「家具の音楽」で知られるように、サティはノイズを排除しなかった。ただ、コンポジションが変化をこうむることに対して寛容だったかどうかはわからない。ケージはというと、当時のコンポジションの主流であったセリー主義を乗り越えるための一アプローチであった手法が、大拙の禅や易の思想を通過することで、変化そのものへと興味が移っていったように私には見える。

 私にとって、サウンドを使用したインスタレーションはやはり、コンポジションへのアプローチではなく、環境などの諸条件によって変化してゆく「事象」にフォーカスするためのものだ。観客が観ることで作品がようやく成立するというようなことをマルセル・デュシャンは言ったが、音や磁力、重力、電気、光といった、目に見えず触れられない事象そのものは人間がいようがいまいが存在しつづけ、自然の力によって変化しつづける。それは人間を排除しないが、基本的に人間とは関係がない。人間にできるのは、避雷針のように事象を呼び寄せ、それにフォーカスすることくらいなのだ。事象そのものへのフォーカスのために私が作品に導入する要素は大きく3つある――偶然性、即興性、フィードバックだ。

 今回展示する作品《Moré Moré (Leaky)》は、水漏れ現場を人為的に作り、この緊急事態に対して即興的に日用品で対処し(このような作業自体は、東京の地下鉄で実際に日々おこなわれている)、最終的にポンプで水のフィードバックシステムを成立させるインスタレーションである。使用されるオブジェクトはあくまで「視覚的無関心に基づいており」、緊急事態への対処を優先するので「良い趣味も悪い趣味も完全に欠如した」、およそ美的な視点から解き放たれたインスタントな立体物ができあがる(引用はすべてデュシャン「レディメイドについて」1961年)。立体物を通して呼び寄せられる、さまざまな「事象そのもの」――サウンドはその中の大きな要素のひとつだ――を、観る人には感じてもらいたい。

毛利悠子

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