毛利悠子のプラスチックフォレスト[インド編] (5)

アーティストの毛利悠子さんの連載「毛利悠子のプラスチックフォレスト インド編」です。インド・ケララ地方で開催中の「コーチ=ムジリズ・ビエンナーレ2016」のためコーチへ滞在した毛利さん、他の参加作家たちの作品のスケールの違い、現場の人たちとのコミュニケーション、展示会場に現れてくる様々な生き物など、これまでとは全く勝手の違う環境の設営現場から溢れてくる話とは。

野良ヤギがたくさんいるコーチ

 インドはこれまでの設営人生のなかで一番大変だったかもしれない。
 訪問した目的は、インドのケララ地方にあるコーチという街で開かれる、「コーチ=ムジリズ・ビエンナーレ2016」への出展作品を設営するためだ。ビエンナーレといっても、街なかに美術館があるわけではないので、元はイギリスの会社があった建物の廃墟がメインの展覧会場になっている。
 コーチの歴史はとても古く、大航海時代にポルトガル、オランダ、イギリスといったさまざまな国の植民地だったことが影響し、いろんなデザインの建造物が入り乱れ、不思議な風景を作っている。ヴァスコ・ダ・ガマはこの街で死んで、お墓もここにあるという。元は「コチン Cochin」と呼ばれていて、細野晴臣さんと横尾忠則さんのアルバム『コチンの月』はこの街から名が取られたと説明すれば、何となくわかった気になる方も多いのではないだろうか。 

 今年4月に下見で初めてこの会場に訪れた際、人生初のインドということで、わたしはかなり緊張していた。インドに行った身近な人間にわたしの父がいる。父ははやばやと早期退職し、第二の人生ということで世界中を旅をしている男なのだが、彼の1か月に及ぶインド旅行は詐欺、病気と散々だったようで、帰国後は謎の肝炎のために入院&2週間の絶食。それを知るわたしは、到着直前までインドを相当恐れていた。
 だが、その心配とは裏腹に、ケララ地方は危険なところではなかった。国際的な古都で、リゾート観光地ということもあって、ホテルも清潔感があり、食事も美味しい。インドの他の街では大変だという大気汚染を感じることもない。人々は優しくて柔らかい性格。ただ、わたしが観光客だとわかってからは異常なほどのお店への勧誘が押し寄せ、若干ウザったくなった。あまりにも毎日勧誘されるのでウンザリしてそこのレストランにはいかないぞ、と思っていたのだが、ある日ふと入ったピザ屋で食べてみたらとても美味しくて、思わず「あなたたちの勧誘はネガティヴ・キャンペーンだよ」なんてお節介にも助言してしまった。やはりここは観光地、お客さんが常に回転していく街だから、一期一会でも商魂たくましく勧誘しまくりになってしまうのだろう。それにしてもウザい。

コーチのご飯は安く美味く健康的!

 そして今回のインド再訪。いよいよ、アスピンウォール・ハウスでの設営がはじまった。
 下見の時には、展示室となる予定の廃墟のなかは野良ヤギと野良ウシによって完全にハイジャックされていて、彼らの糞と草木とで荒れ放題になっていた。その様子を見たインド人がさすがに焦ったのか、手をぶんぶん振りながら「これは11月までには全部きれいになくなるからー!」と言っていたが、今回、たしかに汚れは跡形もなく消えていた。その代わり、会場の至るところに落ちていたそれらの糞はすべて集められ、会場の外に鎮座する一辺20メートルほどの巨大ピラミッドの表面に塗りたくられた。これはアレシュ・シュテガーという詩人の作品なのだ。何人ものインド人大工さんが昼夜シフトを交替しながら建造を続けるスタイルは、4000年前のエジプトを思わせるような壮大な風景だった。そして、めちゃくちゃ臭かった。乾いてくると匂いは減るのだが、その代わり日照りで乾燥しすぎて、せっかく塗った糞の山が剥がれ落ちてきてしまう。ある日、これではダメだということになり、ほとんどフィニッシュまで塗られていた肥やしをすべていったん剥がし、ピラミッドにネットを掛けてからもう一度塗り込んでいくという、途方もない作業が行なわれることとなった。これぞインドの設営現場、なのだ。
 また、外の会場では、スイスから来ているボブ・グラムスマさんが、やはりインドの大工さんたちと地面に穴を掘りつづけていた。なんと9か月ほど前からインド入りしているという。ものすごく巨大な穴を掘ってそこにコンクリートを流し込み、固まったコンクリートの塊を、見たこともない大きなトラックとヤシの木の幹くらいあるロープで持ち上げて立たせるというアイデアらしい。なんというか「もの派」っぽいイメージなのだろうか。いざ持ち上げる段には、たくさんの人が集まってまるでお祭りのようだったが、なんと極太のロープが切れてしまい、コンクリ塊を立たせることができなかった──のだが、逆にその斜め具合がとてもカッコいいという話になり、その状態を展示することになった。コンクリートの上には、毎日、たくさんの動物や鳥が集まってきた。
 わたしの展示室の目の前にある体育館まるまる1個分くらいの広大な廃墟は、屋根の修理からはじまった。直ったところで、部屋の中に深さ50センチほどの巨大プールをコンクリートでつくり、そこに海水を入れて水の中を歩きながら壁に書いてある詩を読むという、チリを代表する詩人ラウル・スリータさんの作品となった。
 とにかく、着いたときからスケールがどでかい作品の準備を見てしまった。そして、すべての作品の設営が終わる兆しがない。これまでの作家人生で与えられた最大の展示室をあらためて目の前にして、これがインドで仕事をすることかと固唾をのんだ。

アレシュ・シュテガーさんの作品制作風景

ボブ・グラムスマさんのコンクリートの作品

ラウル・スリータさんの作品

 わたしの会場は、もともと実験室だったらしい。なんの実験をしていたのかは最後までわからないままだったが、よくある美術館のホワイトキューブとはかけ離れた、タイル貼りで腰くらいまである仕切りとテーブルが建築物に取り付けられいる個性的な空間だ。他の展示室とは違って、まだ過去の様子が色濃く残っている。
 すでにインスタレーション作品のようにも見えるこの空間で作品をつくらないかとゲスト・キュレーターであるスダーシャン・シェッティに声をかけられたのは、昨年、彼が日本へ視察に来た時だ。「日産アートアワード」のための新作をああでもないこうでもないと会場内で作っている最中だったので、まだ完成していない作品を美術関係者に見せることにバツの悪さを感じていた。彼は5分も経たないうちに「外でタバコ吸っているから、一段落したらあとでまた」とわたしに伝えて去り、この時点でわたしは、ビエンナーレの話はないだろうな~と思った。が、実際に一段落ついたので喫煙所へ向かうと、彼はBankARTのバルコニーから見える赤レンガ倉庫や港の様子を指差しながら「海が目の前にある面白い展示室がコーチにあるから、そこで3か月くらい滞在制作しない? 要するに、ビエンナーレに参加しない?」といきなり仕事の話を切り出した。わたしはそれが正式なオファーなのかどうかよくわからないまま、半信半疑で「いいね!」とだけ答えたのだが、その数か月後に突然インターネットでオフィシャルに参加者リストに名を連ねていることを知った。インドは一事が万事こんな調子で、嘘かと思っていたことはだいたい本気だったりするのだとあとでわかった。

 設営現場は、噂に聞いていたとおり、たくさんのスタッフが働いていた。オーガナイザーのチーム、大工さん、電気工事屋さん、ペンキ屋さん、お掃除チーム、記録チーム、ボランティアのみなさん、などなど。職人さんたちは地元から来ている一方、オーガナイザー・チームとボランティアは、ヨーロッパ、アメリカ、アジアなど世界中から集まっていた。ボランティアは公募制で、採用されたら宿や食事はもちろん、ちょっとしたお金も受け取れるので、アート・フェスティヴァルに興味がある日本の学生さんにもオススメしたい。
 わたしが現場入りした時期は、まだアーティストは5人も到着していなかったので、わたしの展示室にスタッフが溢れてなんともにぎやかだった。しかし、これまでやってきた現場とはまるでルールが違った。これにはたいへん困った。人がたくさんいるからといって、仕事がはかどるということでもないのだ。「これこれのサイズで木枠でフレームをつくってほしい」と数か月前からメールで図面を伝えていたにもかかわらず、まだできあがっていない。そして、現地でオーガナイザーやボランティア、大工さんらに何度も伝えてみるが、それでもつくってもらえない。
 ふと、デリー空港のヴィザ・オン・アライヴァルのカウンターを思い出す。そこでは、わたしひとりのVISAを発行するのに5、6人のスタッフがああでもないこうでもないと何十分も話しあっている。よくよく観察していると、彼らは分断作業型で、領収書を書く人、コンピューターに打ち込む人、それを指図する人(なぜか2人)、それぞれのカウンターに誘導する人、そしてなにかぼーっと立っている人……わたしの感覚であれば、分担せずに、すべて一人でできる作業なのではないかと思ってしまう状況だ。しかし、チームを指図するトップの人のもとで作業を分担して進めていくというのが、どうもインドの合理性らしい。これはカースト制度と関係があるのだろうか。
 で、話を制作現場に戻すと、やっぱりここも分断作業型なのだった。日本の場合、インストーラーは打ち合わせ、制作、設営、なんとなくの掃除、すべてを一人でこなしてくれるが、インドでの作業は、オーガナイザーにオーダー→職人のボスに話が伝わる(ここで再度わたしからも説明する)→ボスからの指令(ここで再度わたしからも説明する)→作業(ここで再度わたしからも説明する)→インストーラーは言われたことだけをする→掃除やペンキはわたしから他のボスに頼む必要がある(以下繰り返し)という流れで、ひとつのことをするのに何度も何度も確認をしなければならない。無理もない、彼らは普段、美術ではなく家やホテルをつくるのが仕事なのだ。作業の序盤、わたしは一日中、同じことを何度もしつこく説明しつづけた。でも、日々のコミュニケーションを重ねるなかで、だんだんみんなが作品の主旨を理解してきて、わたしの要望を徐々に飲み込んでくれるようになったのはうれしかった。とくにお掃除チームは、わたしの作品が壊れやすいこと、展示室を常に綺麗に保つことが非常に重要であること、をだんだん理解してくれて、わたしが帰るころには「責任もってキチンと掃除するよ!」とたいへんたのもしい発言をしたのだった。

お掃除のお姉さんから、プッティというおでこのシールや、お花の髪飾りをもらった。
これをつけた瞬間からインド人からモテモテになった。

 やっとこ作業工程が見えてきたある日、展示室にアリが大量発生した。通常のアリと違ってプラスチックを食べてしまう凶暴な性質で、ほうっておくと電子基板やケーブルもぱくぱく食べてしまうらしい。わたしも仏教徒の末裔、無駄な殺生はイヤだが駆除せざるをえない。が、してもしても穴だらけの部屋だけに次から次へと入ってくる。蜘蛛、蚊、ゴキブリとさまざまな生き物たちが会場に大集合し、まさにネバーエンディング・ストーリーである。わたしはストレスで発狂しそうになり、「アリの巣コロリ」のように根絶やしにする薬がないことを呪った。が、まわりのインド人スタッフはまったく動じていない。「まあ、出てきたら気長に駆除してこうよ~」的なノリなのだ。そこでわたしも我に返り、よく考えてみた。そうか、展示室における余所者は、むしろわたしのほうなのだ。この場所は前回のビエンナーレが終わってからずっと廃墟のままで、たくさんの生き物が住処にしていた。ヤギだってウシだって住んでいたじゃないか。それが最近はビエンナーレの準備で掃除したり修理したり草を刈ったりで、住む場所を追われた生物たちが逃げてきているのだ。発狂寸前のわたしのマインドは少しだけインド風になって落ち着き、亡命者たちを受け入れた。
 ある日、「この展示室にヘビが入っていくのを見た」とわたしに告げる者がいた。わたしは「そっかーヘビも逃げてきたんだね~」と動じることなく作業を続けようとしたところ、これまでぼーっとしていたまわりのインド人全員が血相を変えて「ユーコ! いますぐ逃げて! 外で待機!!」と叫んだ。見つけられたヘビは、大きな男が10人くらいで囲んで棒で叩き殺し、そとへ追いやられた。どうやらヘビは猛毒で、人を死に追いやるらしい。

アリがバッタを食べているところ。プラスチックを食べている姿はエグすぎました。

 そんなこんなを経て、ようやく作品ができあがった。
 アスピンウォール・ハウスの敷地内にある高さ15メートルほどの手すりが付いていない展望台に上がって、海の向こう岸にある貨物船用コンテナの山とキリンの首のようなクレーンを眺めながら、今年2月に名古屋港でやはり同じような風景を眺めていたことを思い出した。3週間ほど、まるで違うルールに戸惑いながら作業をしてきたけれど、この貨物船用コンテナは世界共通であることを目のあたりにし、遠くに感じていたこの土地が一気に近く思えた。環境の違いに発狂寸前になるほど振り回されたが、それはほんの小さな違いなんだろうな。最高に疲れたけど、最高の体験をさせてもらったと思う。
 帰国前日、道を歩いていると突然バーン!と大きな爆発音がした。テロかと思い驚きつつ音が鳴ったほうに目をやると、電柱上にある剥き出しのトランスにカラスが留まって感電し、死後硬直したままボテッと落ちていった。あまりのショックに呆然としていると、まわりにいたオート三輪の運転手たちがこちらを見て笑いながら手をふり、「よくある、よくある」とジェスチャーをしたのだった。やっぱり、日常がぜんぜん違う!!(笑)
 そんなコーチ。日本に帰ってきて、恋しく思う。3月にもう一度行こうと飛行機チケットを予約しました。

展示風景

毛利悠子のプラスチックフォレスト[インド編] (5)