毛利悠子のプラスチックフォレスト (4)

ニューヨークに滞在中のアーティスト毛利悠子さんによる「毛利悠子のプラスチックフォレスト」の第4回目です。都会ならではのノイズや緊張感、日本のように気楽に外食することもできない環境で望むものは富士そば…。少し疲れた毛利さんが向かったのは郊外の森で開かれたSummer Thanks Givingでした。(編集部)

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わたしが住んでいるビルは、ミッドタウンの東側だ。まわりと似た、100年以上前に建設されたようなビルの中に埋もれている。20畳ほどのワンベッドルーム(日本でいうリビングダイニングルーム)で、キッチンとバスルーム、そして収納が四つもある、なかなか便利な部屋。窓の向こうの10メートルほど先には、隣のビルの窓から中のオフィスが見える。みんな窓に向かって背をむけて仕事をしているので、ディスプレイに表示されているものが見えそうで少しハラハラ。でも、ということは、向こうからもこちらの部屋が見えているのかもしれない。ボサボサの格好で左右違うスリッパを履いてふらふらしている東洋人の女は、もしかして毎日の監視の対象だったりするのだろうか。
2013年にベルリン動物園で見たマントヒヒは、ガラス張りの檻の中で、群れをなして暮らしていた。食事の時間に饗されるフルーツや野菜類は、群れのみんなが両手でつんで歩きながら食べるので、花弁や葉っぱ、果実といった色とりどりのフレッシュな食べ残しがやがて部屋中に細かくちりばめられていき、それはとてもきたなく、そしてきれいな部屋に見えた。わたしの部屋も、できればそう見えていてほしい。
わたしはいま、都会に住むマントヒヒ状態だ。
ついこのあいだまで爽やかだった気候が一気に蒸してきたので、新鮮な空気を取り込もうと窓を開けたら、ザーッという騒音が部屋に飛び込んでくる。よく聴くと、工事の騒音、自動車の騒音、それに加えて隣のビルのエアコンの室外機の騒音が、うるさいハーモニーとなっているのだった。ホワイトノイズがビルの壁一面にひろがり、エコーし、朝から晩までやむことなく響く。天然イントナルモーリ(ルイジ・ルッソロの騒音楽器)状態。耳を澄ませば澄ますほど、いろいろなディテールが聴こえてきて、それはそれで面白いのだけど、その騒音の海でごはんを食べたり、原稿を書いたり、寝たり……となると、マントヒヒ少し気が狂いそうになってしまいます。しょうがないので窓を閉めてエアコンをつけてみると、そのエアコンもまたうるさい。
この騒音をどうにか数値でお伝えしようとデシベルを計測するiPhoneアプリを購入しましたが($2.99)、「-15」の表示から一向に変化せず、結局なにも伝えられない。小銭をどぶに捨ててしまった。いま、マントヒヒ耳栓をしています。故郷のジャングル(ニッポリ)は静かだったなあ。あ、いまAppleから領収書のメールが届きました。¥360……ドル高いな~(6月24日現在、1USD=123.87円)。

えーと、ちょっと疲れているのかな(笑)。

実際、ニューヨークはわたしにとって、疲れる街だ。というか、自分で自分を疲れさせている。見たいもの、体験したいもの、会いたい人、食べたいものがたくさんあって、にもかかわらず自分の身体はひとつしかないということ、そして、出かけるときにある一定の緊張を持って行動していること。こういったことが意外と積もってきている。
さらに、食事を作る気になれないときなどは、友達でも誘って居酒屋にでも~なんて思うけど、ニューヨークのレストランは基本的に高くて、自分一人が奮発気分になっても友達が金欠だったら行けないわけだ(実は日本では、食事に行くことが気晴らしになっていたという事実に、いまさら気づいたマントヒヒであった……)。現実は、なかなかニッポリのようにはいかないのだ。
レストランの話をもう少し続けると、ニューヨークでは、居酒屋的な「安くて美味しい」という状態にはなかなか出会えない。「美味けりゃ高い」「安ければマズい」があたりまえで、これまでいかに美味しいものを簡単に食べていたかを自覚する。あー、ホームシックってやつは自分にとっては胃袋の問題のような気がする。なにしろ日本が恋しいと思うとき、「旨味」あるいは「だし」の二文字が頭に取り憑いて離れず、富士そばの春菊天がのった蕎麦の絵が浮かんでくるんです。たしか、かけそばは270円だったかなあ~。ちなみに「UMAMI」「DASHI」の二つの言葉が英語として伝わることからも、この概念がニューヨークには存在しないことをご理解いただけるかと思います。
そして、この問題に直面したときから、どうも他人のお財布が気になるようになってしまった。なにを食べている? というところから、なんの仕事をしている? どこに住んでいる? タクシーを使っている? どうやってニューヨークにベースを確保している? などと、ニッポリに住んでいたときには到底考えもしなかった「他人の生活」が気になってしまうのだ。安くて美味しい居酒屋がたくさんあるニッポリでは、というかニッポンでは、どこでもいとも簡単にみんなとハングアウトできたので、そんなの考えたこともなかった。アート・シーンとか経済状況とか、そういったことではなく、まさかの富士そばの連想から、ニューヨークの資本主義を目の当たりにしたのだった。

ちょうどそんなころ、ニューヨークのアップステイトの森に住んでいるGoto AkiちゃんとそのハズバンドのKenちゃんからメールが届いた。Summer Thanks Givingということで、豚の丸焼きパーティーを開催するというお知らせだった。
Akiちゃんとは大学が一緒で、学校を出た後から仲良くなった友達だ。ちょうどわたしが仕事も辞めて、ろくに作品も作らずアルバイトでなんとか食いつないでいた頃だった。
暇で暇で暇で暇で、アルバイトがないときはソーシャルネットワークのmixiで「誰かいまから新宿御苑でピクニックしませんか」なんて平日の真っ昼間から呼びかけていた。もちろん仕事で誰一人来られるわけがない。だけどある日、閉園時間近くに、Akiちゃんが御苑の門まで来てくれた。そして飲みおわったワインの瓶を片手に持って朦朧としていたわたしに向かって「モーリ、わたし決めたよ。ニューヨークに行く。」と宣言したのだった。そのとき、下っ腹の奥のほうがなんとも居心地悪かったのを、いまでも覚えている。なにかを決心したときの人の顔ってすごく強くて、そのビームのようなものが、暇だ暇だとぬかしている自分の下腹に突き刺さったのだろう。そのときの自分の焦りととまどいの感触は、いまでも鮮明に残っている。
都会で身体も疲れてマントヒヒになっていたし、ニューヨークの北部の森での生活も経験してみたかったので、2泊3日で出かけることにした。マンハッタンからバスで約2時間、Akiちゃんの家のまわりは真っ暗で、車で敷地に入ったらどこが路地かもわからないくらいだった。気温もヒンヤリとしていて、草木の香りがすーっと鼻に入ってくる。車のエンジンを止めると虫や蛙の鳴き声が響きわたり、蛍が飛んでいた。
Kenちゃんはこの日のために、1か月前から何回もYoutubeで豚の丸焼きの焼き方を見てイメトレをしていた。小さい豚肉の塊でテストもしたらしい。家のバスタブにはすでに、塩抜きがしてある白い豚が1頭、ごろりと寝かせてあった。
次の日は、朝の5時に起きて、仕込みから始まった。Kenちゃんは、興奮やプレッシャーでほぼ一睡もしていない。豚を外に運び出し、おなかにレモングラス、ニンニク、チリペッパー、オレガノ、オニオン、ねぎ、フルーツ各種、竹の葉っぱをもりもり詰めた。さまざまなハーブの鮮やかな色と芳香は、ベルリン動物園のマントヒヒの檻にちりばめられた食べ物を思い出させ、それらをおなかに敷き詰めた豚はとても美しく、ニューヨークで屠殺された豚の中でもこいつが一番幸せだと思わせるほどだった。おなかをタコ糸で縫い、口からお尻の穴へ竹を串刺し、炭火のほうへ運ぶ。これから約10時間、棒をぐるぐるまわして、全身まんべんなく焼いていくのだ。豚の皮膚は乾かないように、つねにココナッツウォーターでしめらせなければならない。

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すべての工程はKenちゃんのリサーチのもと、とてもスムースに遂行した。竹の棒をにぎり、豚をぐるりとまわそうとすると、そのずっしりとした重みが竹を伝って感じられた。焼きはじめの生肉だったころはおなかに詰めたものがごろごろして動かしにくかったが、時間が経つにつれて、徐々にタンパク質が熱で凝固し、肉が竹の棒と一体化していくのがわかった。ここまでくると1匹の豚は巨大なつくね串のようでもあって、調子に乗ったわたしはビール片手にぐるぐるまわした。
10時間ものあいだ焼かれゆく豚を眺めながら、食べ物について思い返していた。昨日食べたスパゲティは、この前奮発したお刺身は、発作的に思い出すあの富士そばは、どんな動物や野菜や穀物をつかっているんだったっけ。たった1匹の豚だったけど、いままで口に入ってくる食べ物すべてを代表して、その重みをわたしに伝えているようだった。
まあ、人間的な発想ですね。Thanks Givingですね! こうしてようやく、マントヒヒの呪縛は解けていったのだった。焼き上がった豚肉はとても美味しかった。
ニューヨークや食べ物に対するパースペクティヴをちょっと広げてくれて、人間にもどしてくれた、AkiちゃんKenちゃんに感謝をこめて。

毛利悠子のプラスチックフォレスト (4)